「同居」をキーワードにネット検索をすると、ちょっと心拍数が上がるような記事がたくさん出てきますね。
色々読んでみると分かりますが、同居のスタイルや家族の価値観は十人十色。当然悩みも十人十色です。
人生は想定もしていなかったことが起こるものです。知らない人の悩みを読んで、まだ起きていない一つ一つの事柄に不安がっていても始まりませんね。
今回は「私、同居生活やっていける?」という不安にこたえます!
質問はたった1つなので、ゆっくり考えてみてくださいね。
質問の後には判定方法と質問の意図の解説もあります。
質問:あなたが思う同居のメリットってなんですか?
あなたが思う同居のメリットってなんですか?
どんどん紙に書いていきましょう。
たくさん書けたでしょうか?
ここからは判定と解説です。まだの方は読み進める前に書きだしてみましょう。
では先程書いていただいた〈同居のメリット〉を見直してみてください。
- 子どもの面倒をみてもらえる
- お金を貯めやすい
- 家事を分担できる 等々
複数かけたと思いますが、その中にあなた以外の人が得られるメリットが1つでも入っていましたか?
例えば…
- 老後の心配が軽くなる
- 親孝行したかった主人が喜ぶ
- 家事の負担を軽減してあげられる
- 孫が成長する姿を見せられる
- 子どもがたくさんの大人に見守られて育つことができる
そういったことです。
ひとつでもそんなメリットが入っていた方は同居生活にたくさんの光があると思います。
この質問は、自己犠牲の精神を探す質問ではありません。
語弊を恐れずに言えば、私は自己犠牲の精神を美しいとは思っていません。
自己犠牲とは思わずに誰かの役に立つことを自分の喜びと感じる心を探す質問だったのです。
自分が得できるかどうかなんて、実は大したことではないと思うのです。
ある意味とらえかたや解釈次第なところもあるからです。
自分がどこかで満足すればゴールになりますが、人を幸せにしたいという思いに、ゴールはありません。
だからどんな時にもその思いが誰かの幸せや喜びのために工夫したり歩み寄ったりという行為を続ける糧になります。
同居を続けていたら、色んなことがあります。
自分がメリットを得るためだけの同居であったならば、デメリットが大きくなった時に、持ちこたえられなくなります。
そんな時にかすがいとなるのが、誰かの役に立つことを自分の喜びにできる心です。
ただし、人のためだけに我慢をしながら暮らしていたら苦しくなってきます。
ですから『誰かの幸せのために私が努力をする』という考えではなく、『誰かが幸せになることが私の幸せ』と自然に思えることは最強なのです。
私も本当に色々あった同居生活ですが、それでも続けてこられたのはなぜだろうと振り返ってみた時にこのマインドが私にあったからだと気付きました。
さいごに今、同居が決まっているが不安で…という方に「想像の方が苦しい」こともあるということを知っていただきたいと思います。
包丁で指を切ることを想像してみて下さい。
怖いし、痛いし、身がすくむような感じですね。このことを想像している間中、ずっと痛くてずっとドキドキします。
では、実際に指を切った時はどんな感じですか?
「痛ッ!あ、やっちゃった」と思うのは案外一瞬です。
時に、想像することは実際に体験することよりもずっと苦しいものです。
もしも、同居が決定しているのならば、いたずらに不安になるのはやめましょう。
そんな風に自分の不安をコントロールできる力も、この先きっと役に立ちます。
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