同居のストレスを今すぐ(ちょこっと)軽くする4つのワーク

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ストレス解消のための4つのワーク

今回は、私が実際に同居生活の中でたどり着いた「ストレスを今すぐ(ちょこっと)軽くする4つのワーク」をご紹介します。
ひとくちに同居の悩みと言っても百人百様ですが、共通して使える見方や考え方のワークですので、まずはチャレンジしてみて下さい。今ある心のモヤモヤを少しでも軽くするお手伝いができたら幸いです。

では早速4つのワークの紹介です。

  1. 限界ポイントを決めて言語化する
  2. 腹を立ている出来事を「事実」と「真実」に分けて考えてみる
  3. 自分でコントロール可能なことに集中する
  4. 自分のストレス発散方法を評価する

限界ポイントを決めて言語化する

本当に自分を追い詰めるのは状況や出来事ではなく、実は「絶望感」です。
一生このままだ
絶対に逃げられない
どうやっても関係改善の余地がない…
このような感情は間違いなく心を追い詰めます。
「それ、毎日感じてます」という方はそーっと手をあげてください。
…あぁ、多すぎて数えきれません(涙)まずは、自分の限界ポイントを言語化しましょう。

例えば「私の親族の人格を否定する言動があったら、もう我慢しない」
「黙って私の私物をあさったら、もう我慢しない」あるいは
「子どもが高校を卒業するまで」とか「あと1年だけ」など、期間を区切るのも手です。
まずは言語化し決めてしまいます。自分が決めた終わりが見えるだけでも、絶望感はグッと減ります。

さらに言えば、いざという時に同居解消を実行するとしたら今から何をするべきか?ということにも現実的な意識が向きます。
その自分が決めた限界ポイントを、日頃から配偶者にも(言えるなら)言っておくとさらに良いでしょう。
共通の物差しを持っているということは結構役に立ちます。
実際にその限界ポイントに達した時に、必ずしも同居解消をしなくても良いと思いますが、まずは本気で限界ポイントを設定して言語化しましょう。
これが辛い時にあなたを支えるマントラになります。

でもちょっと待って!
もし今、限界ポイントを「また私や子どもたちに対する暴力があったら」と設定した方がいたら…その場合は、限界ポイントについて思案する猶予がないかもしれません。
つまり…すでに家庭内に暴力が介在するのなら、その生活を続けて良い範囲をとうに超えてしまっている可能性が高いと思います。

というか、個人的には今の環境や関係を解消してでも自身や大切な家族を守って頂きたいと思うのです。身内であっても、暴力は犯罪行為です
こんな風にきつく書くのは、暴力は身体だけではなく、心をも損傷させ、正しい判断を奪ってしまうことがあるからです。

ワーク→限界ポイントを決めて言語化する

腹を立ている出来事を「事実」と「真実」に分けて考えてみる

事実と真実を分ける?
なんだか言葉遊びのようですが、言葉を知ることは思考を深める材料になります。

事実」=実際に起きた出来事
真実」=事実に対する偽りのない解釈
という明確な違いがあるのです。
…ん???
ちょっと混乱しそうですね。

ざっくり言ってしまうと
事実=出来事
真実=解釈
という感じです。

例をあげて解説します。

【例】
小雨の中を慌てて仕事から帰ると、義父母がだらだらとリビングでテレビを見ていた。
今日一日なにやってたの!? 私は休憩もろくに取れなくて大変だったのに
みんなは暇なのに仕事してきた私がご飯のしたくするなんて…
えーっ!なんで洗濯物、入れてないわけ?
雨で濡れてるし‼︎
私は無給の家政婦ですか? 無神経で気が利かない義父母との同居生活、いつまで続くんだろう…
やってられんわ!

はい、よくあるやつですね(涙)ありありと目に浮かぶ光景です。
似たような経験をお持ちの方…本当に毎日お疲れ様です。
実際、文章を創作した自分ですらモヤッとする内容です(笑)

今感じているこのモヤッとした感覚を覚えておいてください。
これは「真実」=事実に対する偽りのない「解釈 」を書いたものです。
では、今度は同じ場面の「事実」を書いてみます。

小雨の中帰宅すると、義父母がリビングでテレビを見ていた。
取り込まれていない洗濯物が外で雨に濡れていた。

事実とは、実際に起きた事をさすので、誰が見てもほぼ同じ(であるはず)です。
なので「慌てて」とか「だらだらと」とか「(私は)大変だった」という解釈の部分は省かれます。
これが「事実」=実際に起きた出来事です。

事実と真実。2つの文を読み比べて、モヤッと感に明確な違いがあったはずです。
①事実と真実の違いを理解して
②「事実」はどうであったのかを考えてみます
すると「事実」に自分の解釈が加わったことで、必要以上に感情が大きく揺さぶられていたことに気付きます。

同じ出来事でも、人によって笑ったり怒ったり反応が違います。
それは出来事と反応の間に、その人なりの「解釈」が入っているためです。
実際には出来事に対して腹を立てているのではなく、自分が解釈した「真実」をベースに腹を立てていることが多いのです。
『真実はひとつ!』…ではなかったのです。1つだったのは「事実」の方です。

ここまでくると、あることに気づきます。
私には私の真実(解釈)があるように、相手には相手の真実(解釈)があるのでは?
では「相手にとっての真実」とはどんなものだったのでしょうか?
実は今日、急に義母の体調が悪くなり病院に行っていたのかもしれません。
実は病院から帰宅したばっかりなのかも
さんざん病院で待たされて、お昼も食べられずやっと今座ったところなのかも。
あるいは、洗濯物を入れようか迷ったけれど以前あなたに「洗濯物は触らないで。私やりますから!」って怒られたことを思い出したのかもしれません。

普段から事実と真実を分けて考えると、そのふたつの差を生んだ「自分の解釈の癖」もだんだん分かるようになってきます。
そこに気づいたら出来事の捉え方が少し変わってきます。
意識して「事実」と「真実」に分けて考えることを繰り返すうちに、事態の本質を見る目が自然に養われ、必要以上に感情的になることが減ってくるでしょう。

イメージとしてはこんな感じです。
アツアツのグラタン皿を、今すぐテーブルに置きましょう。
そしてゆっくり三歩さがって、両手を腰の後ろで組んで言います
「ほほぅ…」
美術館で彫刻を鑑賞しているイメージです(笑)

真実にゆさぶられてグラグラに煮立った感情をいったん手放して、事実に目を向けてみましょう。

ワーク→腹を立てている出来事を事実と真実に分けて考えてみる

自分でコントロール可能なことに集中する

「過去と他人は変えられない。変えられるのは今と自分だけ」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。ズバリ、その通りだと思います。
「でも普通なら…」「だって改善すべきは向こうじゃない!」という声が聞こえてきそうです。

んー、恐らくその通りなのだと思うのですが、どちらが正しいかはともかく、やっぱり「他人は変えられない」と考えた方が手っ取り早いのです。
相手を変えようと思ったら、また新たなストレスが発生しますし。
取り急ぎ、自分にできることは「自分でコントロールできる範囲だけ」と腹をくくりましょう。

先ほどの例で、自分がコントロールできる範囲を考えてみます。
この時、思い出して欲しいのは「真実」ではなくて「事実」の方です。
(ややこしくなるから、熱々のグラタン皿は持ってこないでね 笑)

【例】小雨の中帰宅すると、義父母がリビングでテレビを見ていた。取り込まれていない洗濯物が外で雨に濡れていた。

さあ、自分にできる範囲のことを考えてみましょう
  →「気づいたら洗濯物を中に入れておいてくださいね」と言う
  →外の天気に意識が向かないかもしれないので、雨が降ったら洗濯物を中に入れてもらうように電話でお願いをする
  →子どもの仕事にする
  →天気があやしい時は室内干しにする
  →自分が外に干したのだから、急な雨で濡れることもある、と腹をくくる
きっと他にも色々な方法があると思いますが、例を上げるとこんな感じです。
こういうことなら、自分でコントロール出来そうですね。


ですが「自分でコントロールできる範囲のことに集中する」の言葉の真意は、もう一歩奥にあります。


「気づいたら洗濯物を中に入れておいてくださいね」と言われた相手が、明日から
・洗濯物を中に入れるかどうか
・出しっぱなしに気づくか
ということは、自分にはコントロール出来ないことだと気づくことなのです。

いや本音を言えば「それくらいのことは ちゃっちゃとやりなはれ!」と言いたいところですが
やっぱり、他人は変えられないのです。
変わるように声をかけることはできるけれども、出来るのはそこまで。
私達は「ラクダを水飲み場に連れて行くことはできるけれど、水を飲ませることは出来ない」のです。

でももう一歩、自分にコントロールできる範囲でアプローチしてみることは出来ます。


さぁ、また洗濯物が雨に濡れていました。どうしますか?
  →子どもの仕事にする
それでもダメなら、再再度考えます。
  →子どものおやつと一緒に「おやつの前に洗濯物を中に入れてね!」とメモをつける
それでもダメなら、また考えます
  →今日のおやつの隠し場所が書かれた宝の地図を洗濯物と一緒に干しておく
という感じです。
もぐらたたきのイメージで、淡々と自分にできることを探していきます。
わきおこる感情よりも、自分ができる対処に集中!
これは、仕事でも使えますし、繰り返すうちに自己効力感も上がります。

ワーク→自分でコントロール可能なことに集中する

自分のストレス発散方法を評価する

ストレス発散するって、ありきたり過ぎる!と感じたかもしれませんが、まずは質問です。

  1. あなたのストレス発散方法はなんですか?
  2. その方法を実行している最中と、実行し終わったあと、どちらの方がストレスを感じにくいですか?

例えば「大好きなゲームをするのが一番のストレス発散!」と言う人の場合
ゲームをしている時は、モヤモヤした悩みを忘れて没頭出来ると思います。
しかし、ゲームをやめて画面から離れた途端、変わらぬ現実にゲンナリしたのだとしたら、それはあなたにとって本当のストレス発散になっていない可能性があります。

本当のストレス発散とは、その方法を実行したことで、その後の心の重さや激しい感情がおさまるものなのです。

もう一度聞きます。
そのストレス発散方法を実行している最中と、実行し終わったあと、どちらの方がストレスを感じにくいですか?
なんだかいっきにハードルが上がってしまいました。

自分にとっての本当のストレス発散方法を知らぬまま長く険しい同居生活をするということは、なんの武器も持たずにジャングルに分け入るようなものです。ある意味勇敢ですが、命がいくつあっても足りません。

「ならどうしたらいいの!」という声が聞こえできそうですが、具体的に何をすれば本当のストレス発散になるのかは、人によって異なるので、まずはやってみるしかありません。今すぐ1つ試してみましょう。

ストレス発散になりそうな方法を実行してみます。
実行中に心の重さを10段階で評価してみます。
次にそのストレス発散方法が終了した後に、また心の重さを10段階で評価します。
ストレス発散方法を終了してからの方が、心が軽く感じたのならば、それは自分にあった方法と言えるでしょう。
ぜひ色んな方法を試して「自分の取扱説明書」を充実させて下さい。

ちなみに私のストレス発散はランニングです。心拍数を上げる運動は、ストレス解消に効果があるようです。好きなスポーツがある人は、精神的に辛いときほどのめり込んでみてください。

ワーク→今すぐできるストレス発散方法を何か1つ試して、分析してみる

いかがでしたか?最後にもう一度おさらいです

1.限界ポイントを決めて言語化する
2.腹を立ている出来事を「事実」と「真実」に分けて考えてみる
3.自分でコントロール可能なことに集中する
4.自分のストレス発散方法を評価する

このワークは、繰り返し行ううちに、ストレスを感じにくい考え方が身につきます。
この程度のストレスなら私は対処できる、という自信がだんだんついてきます。

最後に…毎日毎日 頑張っているあなたへ伝えたいことがあります。

このストレスがずっと続くと考えると、本当に毎日が辛いです
昨日よりも今日の私の方が考え方の引き出しが増えた。
今日よりも明日の私の方が対応が上手。
明日より、1年後の私の方がストレス発散が上手。
だから、どんどん楽になっていくはずっ!て信じられたら、その方が断然楽です。
いつかそんな風に思えるようになることを、祈っています。

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